0.019 (第8話)
……………え?
つまり、つまり……僕は……
「日本人の寿命はだいたい80歳くらいよね。もうわかった…?」
1回やり直した時点で、80歳から30歳引いて、つまり50歳までしか生きられない………。
そして…2回目……50歳から30歳引いて………。
「母さんね、もうあんたに会えないと思うと、本当に、苦しくて仕方がなくて。でも、母さんも、もうすぐ、あんたの後に続くから…あんたと同じ世界に逝けるから。それならまだ、少しだけラクかなって」
……どういうことだ?母さんが?不治の病ではないって。言ってたじゃないか。母さんが僕の後を追う?
「ど、ど……うして……母さん、なんで……僕が死んだら、母さんも……?なんで………まだ生きてて…ほしくて……」
「事実を伝えないと、あんたが死ぬ前に、話したかったこととか、まだたくさんあったのにって、後悔しそうな気がして。ごめんね。受け入れられないよね…」
いや、違う。母さんが謝ることではないのだ。母さんを残して、自責の念とか、後悔に駆られる母さんの気持ちとか、そんな簡単に思い至るようなことを何も考えずに、僕は前々回、自殺を選んでしまったのだ。
「僕、まだ…まだ生きたいよ…いつか、いつか働いて稼いで、母さんに新しくて綺麗な一軒家をプレゼントしようって……思って………」
母さんは、声を抑えて泣いていた。唇を、血が出るほど噛み締めて、とめどないほど、泣いていた。
「…母さんもね、少し混乱してきちゃった。一旦居間に戻るね……」
そう言って、母さんは小さくか弱い背中をこちらに向けて、僕の部屋を出て行った。
もう、死ななくてはいけないとしたら、そのことは諦めるしかないのか?まだ、ここにいたい、けれど、でも、でも。
……だとしたら?この人生を諦めるとしたら?
一番疑問に思うこと。
どうして母さんが、僕の後を追わなきゃいけないんだ?
今の話を聞く限りだと、母さんが自ら命を絶つとは思えない。
フッと。
いつの間にか、僕の意識はまたもや、現実世界の外にいた。夢の中だろうか。
なんだ…これ…僕が宙に浮いて……
そこにいるのは母さん……?でも、今より少し若いし、体調は良さそうな顔色だ…。
でも、母さんは下を向いて、苦痛に顔を歪めていた。どこからともなく、母さんの声がした。
「……と。…こと。ま…こと…。真琴。あんたがそうしたいなら、母さんも耐えるよ…………。母さんは、あんたのためなら、病気の一つや二つで、苦しんだって構わないよ。あんたが2回目にやり直したときは、もう、この体も、もたないかもしれないけど…………」
わかってしまった。
人生を、やり直すごとに、自分の寿命は縮まり。
血の繋がった母に、その分の負担がかかっていたのだ。
僕のせいで、僕が、自殺してやり直したせいで、母さんは病気を、悪化させてしまったのだ。
どうして、知っていること、全部話してくれって、言ったじゃないか。母さん、母さんは、僕が自分を責めるとわかっていて……病気で死んでしまうこと、言えなかったんだね。
優しいんだ。優しすぎるんだよ。いつも。昔から。
自分の寿命と、母さんの命を削ってまで。僕は。
ダメな、息子で、ごめん。
もう、全て、耐えられなかった。
………そうして彼は、窓から身を投げた。
その数日後、彼の母は亡くなった。
彼の死は自責の念に依るものだったが、彼の母が何か言おうと言うまいと、誰を責めることもできない。
どちらにせよ、20歳手前で死んでしまうことは、もう、運命だったのだから。
(終わり)
0.019 (第7話)
そこから母さんは、とんでもない事実を、口にし始めた。
おおよそ、僕自身がそんな経験をしていたとは思えないような。そんな事実。僕の経験という事実。
僕が人生を二度やり直したこと。ここまでは自覚があったことだが。
人生をやり直せる人間は、全世界の人口の0.019%であること。
理由はわからないが、人生をやり直したぶん歪んだ時間はどこかで調節され、周りとの世代差は辻褄の合うようになってしまうという。だから、やり直していることに気付きにくいのだ。
そして、僕は前々回の人生で、学生時代から社会人時代にかけて周囲から執拗なイジメを受け、社会に出て数年目で自殺してしまった。それが耐え難いほどやりきれなかったので、死ぬ直前、本当に直前だったが、自分が0.019%の内の人間であると知り、人生をやり直すと決めた。
次の生では、50歳になる一歩手前で自殺してしまった。それについての理由は、よくわかっていないという。
「……それで、あんたね、50歳で自殺してしまったとき、何も言わなかったの。あんたの周りの人も、自殺するような理由があったと思えないって言うし。でもね…」
正直、もう、すでに、僕の頭のキャパシティを超えた内容だったけれど。聞くしかなかった。
「1回人生をやり直すごとに、その人の寿命が30年縮まるのよ」
(続く)
0.019 (第6話)
昨夜は一睡もできなかった。当たり前だよな。ベッドから一歩も外に動き出せず、僕はうずくまっている。
どうして思い出してしまったんだろう。いや、逆だ。どうしていままで何も知らずに過ごして来られたんだろう。
いま思い出したということは、思い出す必要があったのではないか。自分が、二度も人生をやり直したことを。
二度やり直したことで、何か、何かを、失っているような。感覚が。また襲ってくるのだ。
思い出したくない。いよいよ、戻れなくなる気がする。いままでの、ただのんびりとした生活に、震えるほど戻りたくて、仕方がない。
いや、違う。どっちにしろ、もう戻れないのだ。人生を二度やり直してしまったことを、意識の表面に、確実に浮き上がらせてしまったのだから。
歯を食いしばる。脳が、それに合わせてガンガンと、血液が滞っているかのように嫌な音を立てる。体の震えがおさまらない。
トントン。
自室のドアが叩かれた音がした。母だ。
「あんた、大丈夫…?今日は土曜よ。たしか午前中授業あるのよね?」
「あ……ああ…ごめん。風邪引いたみたいなんだ、今日は休む」
「……ねえ真琴。ちょっと、部屋入ってもいい?」
え…?そんなことを言うなんて、すごく珍しい。いつも、僕が一人になりたいとき、それを察して引き下がってくる母が。部屋に入りたいなんて。どうしたのだろう。もしかして、病気が悪化したのか。その報告?とにかく、心配で仕方がない。
「…うん。入って」
僕は、母に聞こえるかどうかもわからないくらい小さな声で、了解を返した。
「急にごめんねぇ。お母さん、ちょっとあんたに話したいことがあってね。」
奇妙なほどやつれた母の顔。その色が深刻なものに変わる。僕は黙って、ベッドに横たわったまま、母の口が次にどのような動きをするか、見守っていた。
「あんた、最近もしかして、何か変な夢を見たりしない?」
バサッ。
思わず、掛け布団を乱暴に払って、上体を起こした。
「やっぱりね…。あんたが覚えてないことはわかっていたけど、最近様子がおかしかったから」
心臓が、頭が、気持ちが、どこか痛いと感じるほど、ぐるぐると回っている。どうして?母が知っている?何を?どこまで知っているんだ?
「ねえ、真琴。私ね、このまま言わないでおこうと思ったけど…やっぱり、あと少しだと思うと、どうしてもつらくて。だから…ここから先は、しっかり、気を確かにして、聞くんだよ」
本当は嫌だった。聞きたくなかった。でも、母が伝えたいと言うなら。
「……わかった。母さんが知ってること、全部、教えてほしい」
(続く)
0.019 (第5話)
ここは…どこだろう…暗くて何も見えない……。
僕はいつの間にか、真っ暗で周りが見渡せない、どこか冷たくて気味の悪い場所に置き去りにされていた。
ここはどこなのだろう。とりあえず歩いてみないと……。
と、その瞬間。
床が無くなって。僕は、空(くう)に放り出された。ビルの屋上のように高い場所から。またいつもの夢だ。
地面に吸い込まれていくようにどんどん落ちていく。
ああ、ごめんなさい……もう死ぬのも2回目………ごめんなさい……いくらやり直せるとはいえ……と……を削ってまで僕は……ダメな……で………本当に………
「うわぁぁぁぁ!!」
僕は、大学の保健室のベッドの上で叫んだ。自分の絶叫で目が覚めた。怖かった。ただただ恐ろしかった。
どうして、どうして僕は…
やり直していたんだ。人生を。
これまでにもう2回、自らの命を絶って。
本能が告げる。もう次はない。次はないのだと。次はもうやり直せないと。もうおしまいなのか。
きっと償いたい。でも…。
どうしてだろう。やり直すことで、何かを失っている気がするのだけど、思い出せない。肝心なところが。
悔しくて、恐ろしくて、僕は目を見開いたまま、いつの間にか冷や汗のような涙を流していた。ベッドの中でうずくまって、腹の底から湧き上がる不明瞭な恐怖を、ねじ伏せようと必死になっていた。
(続く)
0.019 (第4話)
落ちていった。
母さんは眠りに。僕はどこに?
わからない。
派手に気を失って保健室に運ばれ、それからちょうど1週間経った。
先週と同じ、よく一緒に授業を受ける友達と、心理学概論のいつも慌てている教授の話を、ぼーっと聞いている。
今日は月末、30日。今月は変な夢を見て倒れるし、母さんの容体は心配だしで、多少の疲労感をためこんでしまっていて、正直、教授の話を真剣に理解しようとすることができずにいた。
「……ということです。えーっと、これは余談ですが…人間は無意識のうちに、後悔や焦りを感じていると、それが何らかの形で夢に出てくるわけですね。深層心理学における夢分析は…………」
僕はそれこそ無意識のうちに、目を見開いた。
気持ちの、心臓の、頭の、奥深くに、揺り動かされたような衝撃が走ったのがわかった。
えっ……どうしてこんなに動揺しているんだろう。どうして?なんで?この感覚、あの夢に似ている。自分に恐怖を、後悔を強いているような、あの夢の。
僕は…どうしてあんなことを……?
後悔しているんだ…いくら二回あるとはいえ、その代償…が……こんなことに……ごめん………どうして………
隣に座っていた友達が、おい、おいコンダ!どうした?大丈夫か!?と声をかけてくれたのが聞こえたが、返事をする余裕もなく、僕はまた気を失った。
(続く)
0.019 (第3話)
僕の母は、重い病を抱えている。
不治のものではないけれど、細々とパートの仕事をしながら、それ以外はほとんど家で座って本を読んでいるか、眠っている。
「母さん、ただいま」
家の玄関に入り、少し音量を抑えた声で僕は母さんに挨拶を投げかけた。が、今日も眠っているようだ。
母さんは日に日にやつれていく。
僕の家に父はいない。高校時代に勉強に力を入れて成績を維持したおかげで、貸与型ではなく、給付型の奨学金を得ることができている。それで大学に通えているのだ。
母さんは少しでも生活が楽になるように、貯金を切り崩しながらパートの仕事をしている。話を聞いた限りでは、母さんの体調にとても理解のある職場で、症状が出てしまいそうなときは店長が「無理せず帰って構いませんよ」と言ってくれるらしい。
ではどうして。不治の病でもない。パートは無理しているわけでもない。どうしてこんなにやつれてしまっているのか。
ベッドに横たわる母さんの、痩せこけた頬と深く刻まれたシワを見て、僕は、心の奥深くを殴り倒されているような、抉られているような、苦しさに見舞われた。
と、その瞬間。
またあの感覚だ。
足元がぐらついているような気がしてくる。下を見ると、床もない。ただ空の中に、放り出されている。真っ逆さまだ………。
怖い。怖い。怖いよ。ここから助け出してほしい。本当はこんなこと、したくないんだ。でも、でも、こうしないといけないんだ……………
「真琴…?あんた、どうしたの。大丈夫?」
母さんだった。横たわったまま、とても心配そうに僕を見ていた。僕がベッドの近くに立っていたせいで、目が覚めてしまったのか。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「あ…えっと………ぼーっとしてた。起こしてごめん、母さん」
母さんは一瞬訝しげな表情をしたが、そう?と小さな声で呟き、再び眠りに落ちていった。
………そうだ、そうなんだよ、僕の、せいで、母さんが……
………え?僕のせいで、なんだよ?なにが僕のせいなんだ?
わからない。時々、自分の精神(こころ)が叫ぶことを、自分自身で理解できないことがある。
この感覚も、うまく表現できなくて、もどかしい。でも、表現してしまったら、ここに、いられなくなってしまいそうで。怖くて。何がわかるのか、わからないのも、怖くて。
保健室にいたときと全く同じ心境で、僕は母さんの寝室を出たのだった。
(続く)
0.019 (第2話)
「…またあの夢…?だった……」
僕はベッドから脚を下ろしながら、独り言をこぼした。
あの、焦燥に駆られて、自分自身に恐怖を強いるような、そんな感覚。
目が覚めるとすぐ内容を忘れてしまって、誰かに相談するのは難しい。
妙にリアルなその感覚だけが、脳にこびりついてしまっている。僕はその感覚に、嫌悪感しか抱くことができない。
「疲れてんのかなぁ…きっとそうだよな。テスト勉強、地味に大変だし」
うん。きっとそうに違いない。自分にそう言い聞かせた。自分の自分の精神(こころ)を、恐怖から逃がしてやらないと、これだけは。このことだけは………。
…なんだっけ?このことって。このことってなんだよ。僕は何に怯えて、何に気づきたくなくて……。
だめだ。考えるのをやめよう。何か、気だけじゃない何かが狂ってしまいそうな気がする。
背後から何かに首を取られてしまいそうな気がして、逃げるように、逃すように、保健室をあとにした。
(続く)