0.019 (第3話)
僕の母は、重い病を抱えている。
不治のものではないけれど、細々とパートの仕事をしながら、それ以外はほとんど家で座って本を読んでいるか、眠っている。
「母さん、ただいま」
家の玄関に入り、少し音量を抑えた声で僕は母さんに挨拶を投げかけた。が、今日も眠っているようだ。
母さんは日に日にやつれていく。
僕の家に父はいない。高校時代に勉強に力を入れて成績を維持したおかげで、貸与型ではなく、給付型の奨学金を得ることができている。それで大学に通えているのだ。
母さんは少しでも生活が楽になるように、貯金を切り崩しながらパートの仕事をしている。話を聞いた限りでは、母さんの体調にとても理解のある職場で、症状が出てしまいそうなときは店長が「無理せず帰って構いませんよ」と言ってくれるらしい。
ではどうして。不治の病でもない。パートは無理しているわけでもない。どうしてこんなにやつれてしまっているのか。
ベッドに横たわる母さんの、痩せこけた頬と深く刻まれたシワを見て、僕は、心の奥深くを殴り倒されているような、抉られているような、苦しさに見舞われた。
と、その瞬間。
またあの感覚だ。
足元がぐらついているような気がしてくる。下を見ると、床もない。ただ空の中に、放り出されている。真っ逆さまだ………。
怖い。怖い。怖いよ。ここから助け出してほしい。本当はこんなこと、したくないんだ。でも、でも、こうしないといけないんだ……………
「真琴…?あんた、どうしたの。大丈夫?」
母さんだった。横たわったまま、とても心配そうに僕を見ていた。僕がベッドの近くに立っていたせいで、目が覚めてしまったのか。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「あ…えっと………ぼーっとしてた。起こしてごめん、母さん」
母さんは一瞬訝しげな表情をしたが、そう?と小さな声で呟き、再び眠りに落ちていった。
………そうだ、そうなんだよ、僕の、せいで、母さんが……
………え?僕のせいで、なんだよ?なにが僕のせいなんだ?
わからない。時々、自分の精神(こころ)が叫ぶことを、自分自身で理解できないことがある。
この感覚も、うまく表現できなくて、もどかしい。でも、表現してしまったら、ここに、いられなくなってしまいそうで。怖くて。何がわかるのか、わからないのも、怖くて。
保健室にいたときと全く同じ心境で、僕は母さんの寝室を出たのだった。
(続く)